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豊前海の歴史 1

今から約1200年〜1300年前の蛸壺(タコつぼ)が豊前海海底や貝塚から発見され、蛸壺を野焼きにした場所が遺跡として発見されています。この蛸壺には指紋が残っているほどです。当時から豊前海でタコ漁が盛んだった事がわかります。
また約1150年前の852年(仁寿2年)に、龍王浜(現在の闇無浜神社)に住吉宮が建てられ、後に下小路新浦の漁師
(龍王浜)の漁師達が住吉宮の隣に恵比須様(海の神様)を奉った事から、当時又は、それ以前に豊前海で本格的な漁業(刺し網漁、底曳き漁、引き網漁、定網漁)が始ったと思われます。

それと、当時は豊前海を「豊海(とよみ)」と呼んでいました。
“豊前國(豊前の国)に面した海だったので豊海と名付けた。豊かな魚が多く生息する海から豊海と名付けた。広大な干潟がある豊かな海なので豊海と名付けた。”…など諸説があります。

よって豊前海の漁業の始まりは、1150年以上の歴史があると考えられます。


 1717年(享保2年) この年から書かれた中津藩惣町大帳より
 1787年(天明7年)1月

下小路新浦(現在の中津市下正路町、龍王町付近)に常夜燈が設けられる。現在の灯台の役割も果たしていた。

 1800年(寛政12年)2月
中津藩 「惣魚セリ問屋」の願書が出される。
 1800年(寛政12年)7月

元山浦 (現在の山口県小野田市)の漁師達と小祝浦 (現在の中津市小祝)の漁師達が豊前海沖で鱧(ハモ)漁の縄張り争いで口論となり、元山浦の漁師2名が負傷する。

 1802年(享和2年)3月

下小路新浦の漁師達が豊前海沖で大網を引き上げている最中に、小祝浦の漁師達が押し掛け、下小路新浦の漁師数名が負傷する。この時、下小路新浦の漁師が 「今度やったら、命をとる!」と言った。後に小祝浦の漁師達に一時禁漁が命じられる。

 1807年(文化4年)4月

小祝浦の縄張に進入してきた姫島漁船に、小祝浦の漁師達が押し寄せ、船内にあった諸道具を破壊する。

…など、当時の出来事、各漁師達の人間関係もわかります。


来月は、「豊前海の歴史2」をご紹介します。
 
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